Secret kiss
放課後の学園は雑多な音に満ちている。 部活動をする生徒達の声、授業の片付けや掃除をしている音、行き交う生徒達の足音。 喧噪とは無縁のはずの図書室にもまた、紗を通したように淡くではあるが、遠くからそんな音が聞こえてくる。 が。 (いえ、違うわ・・・・) 例えば閲覧席に座っていればきっと外の音がこんなに聞こえることはない。 だって、外の喧噪が聞こえてくるのはエミリーの背中側・・・・図書室の窓からだから。 そして。 (というか、なんで・・・・!) そう心の中で呻いた時、エミリーの顔の横に、トンと手がつかれた。 背中には窓、右側には束ねたカーテン、左側には彼の手、そして正面には。 (なんで) ややおそるおそる視線を上げると目に入るのは見慣れたハリントン学園の制服と、癖のついた金髪、けれどいつもは気弱そうな表情を浮かべているはずの顔にはその名残もない。 そして赤い縁の眼鏡の奥の金色の瞳に浮かぶのは、ドジばかり踏む控えめな青年のそれではなく、獲物を捕らえた肉食獣のような色でエミリーの背にぞくっと本能的な震えが走った。 正直、もうさっきから頭の中をぐるぐる回るのはたった一つの疑問だ。 (なんで、こんなことになっちゃったのーーーー!?) エミリーの問いに答えを出すには、絶体絶命に陥る数分前に時計の針を戻す必要がある。 数分前、エミリー・ホワイトリーはごく普通のハリントン学園の生徒達と同じように、ただ図書室で課題に取り組んでいた。 「えーと、次は砒素の歴史と化合・・・・」 「あ、ミス・ホワイトリー。それなら・・・・ここに、出て、ますよ。」 「あ、ありがとう!ルーピン。」 おどおどした声と共に正面の席から差し出された本を見て、エミリーは顔を上げた。 エミリーの笑顔を向けられて、本を差し出していたジャン・ルーピンは少し照れたように笑う。 その気弱な青年が浮かべるに相応しい柔らかい笑みを見ながら、エミリーは改めて不思議な感じがした。 (全然演技って感じがしないのよね。) そう、ジャン・ルーピンはジャン・ルーピンであって、ジャン・ルーピンではないのだ。 ドジが多くて控えめな青年の姿は仮のものであって、その正体は世間を騒がす大怪盗、ジャン・ルパンその人である。 けれどその事実を知っているエミリーでさえも、こうしてルーピンと普通に過ごしていると、彼とルパンが同一人物であることを一瞬忘れてしまいそうなほど、ルーピンはルーピンとして自然だった。 「ど、どうかしたんですか?」 じっと見つめられてたじろいだ、というように眼鏡の奥から探るような視線を向けてくるのも、大胆不敵に余裕の笑みを浮かべているルパンとは対照的だ。 「・・・・いえ、なんでもないわ。」 とはいえ、放課後で他にも生徒のいる図書室で、ルパンの時と随分違うなって思っただけ、などと言えるはずもなく、エミリーはわずかな間の後、視線をノートへ戻した。 もの問いたげな視線は感じていたけれど、エミリーは課題に集中しているふりをする。 ルパンならここで追求をゆるめてはくれないだろうが、ルーピンはそれ以上は聞けないだろう。 と踏んだとおり、それ以上何も言うことはなく、ルーピンもまた課題へ戻っていった。 それを目端で確認して、エミリーは小さく息を吐く。 (良かった。あまり変な事を言うと、ルパンの時に何を言われるかわからないし。) ルーピンの姿の時と違って、ルパンの時の彼は恋人になる前から薄々気づいてはいたが結構意地悪だ。 油断するとすぐにエミリーをからかってくるので油断ができない、と最近のエミリーはちょっぴり警戒気味である。 (あ、そんな事を考えている場合じゃなかったわ。課題課題。) そこまで考えて本来の目的を思い出したエミリーは慌てて目の前のノートへまた意識を戻した。 そしてルーピンが差し出してくれた本から必要な部分を抜き出していく。 あらかた作業が終わろうかという、ちょうどその時。 「・・・・おい」 「?」 ふいに、ぶっきらぼうな低い声が聞こえて、エミリーはノートから顔を上げた。 と、机のすぐ脇に見慣れた姿を見付けて目を丸くする。 「ジャック?いつの間にきたの?」 そう、いつの間にかすぐ横に立っていたジャック・ミラーズの姿にエミリーは驚いてそう聞いたが、ジャックは居心地悪そうに視線をそらした。 「今。」 「ええ!?」 端的な答えにさらに空色の目がまん丸くなる。 「ぜ、全然気がつかなかったわ。」 「・・・・お前が鈍いだけだろ。」 ため息をつくようにそう言ってジャックはその赤い瞳をちらっとルーピンの方へ向けた。 「こいつは、気がついてたし、な。」 「!」 ジャックの言葉にエミリーははっとした。 勘も観察眼も鋭いジャックの事だから、もしかして何か気づかれた?とひやっとしたのに、何故かルーピンは何も言わない。 何も言わずに、ただジャックと視線を交わして・・・・。 (?何故かしら。ちょっと怖い気がするんだけど・・・・) エミリーがそう思ったのもつかの間、ふいっとジャックはルーピンから視線を外すとエミリーにそれを戻した。 そしてジャケットのポケットから何か取り出すとエミリーに差し出す。 「これ・・・・」 「あ!お返事ね!」 角がほんの少しよれた封筒を見て、エミリーはぱっと顔を輝かせる。 もともとはジャックと仲良くなるためにエミリーが提案した文通は、今もなんとなく継続されていて先日もエミリーが手紙を渡したところだったのだ。 (でもジャックが図書室でお手紙をくれるなんて珍しいわね?) そういえば、とエミリーは小さく首をかしげる。 ジャックとの手紙交換は大概、エミリーが一人でいる時に行われるのが普通だったからだ。 その疑問を読み取ったのか、ジャックはややバツが悪そうに視線を彷徨わせた後、ぽつりと。 「・・・・遅くなって、悪かったな。」 「え?そうかしら?」 「早く、渡したら・・・・喜ぶかと思っただけだ。」 「ジャック・・・・ありがとう。」 照れくさそうに言うジャックに、エミリーはにっこりと笑った。 出会った頃は素っ気ない態度が多かったジャックだけれど、こんなに仲良くなったのだと思うと自然に笑みがこぼれてしまう。 その笑顔を満足そうに見つめて、ふとジャックがちらっと視線を揺らした。 その動きにつられるようにエミリーも視線を巡らせて・・・・驚いた。 向かいの席でここまでのやりとりに口を挟まなかったルーピンが、こちらを見ていたのまでは予想の範囲内だったが、その眼鏡の奥の視線は。 「・・・・ふん、物騒な目だな。」 「・・・・はい?」 小さな声でそう言ったジャックにルーピンはわずかに遅れて不思議そうな顔をしたが、ジャックは興味を失ったようにふいっと視線をエミリーに戻して言った。 「なんでもねえ。じゃあな、エミリー・・・・気をつけろよ。」 「??」 (気をつけろ??) 最後の警告の意味がわからずにエミリーが首をかしげていると、ジャックは何事もなかったかのように軽く片手を上げ、そのまま図書室を去って行ってしまった。 (気をつけろって何のことかしら?) 出口へと消えていったジャックを見送ってエミリーが改めてそう思った ―― 瞬間。 「・・・・エミリー。」 「へ?」 普段聞くことのないファーストネームを呼ばれた、と思った直後にがしっと無防備だった手首を捕まれた。 「え?え?」 戸惑って見上げれば、何故かとっても笑顔なルーピン・・・・否、ルパン。 (な、何かしら。とっても・・・・まずい気がするんだけど。) 眼鏡の奥でまったく笑っていない金色の瞳を見てしまって、エミリーの本能が警鐘をならした。 それに逆らうことなく、エミリーはジャックからの手紙をノートに挟むとルパンの手をふりほどくように立ち上がる。 「え、えっと!私、資料を探してくるわ!」 そう言うなり返事も待たずに書架へと逃げ込んだのだが・・・・相手は大怪盗。 逃げられるわけがなかったのだ。 ―― と、いうわけでの冒頭、絶体絶命状態の今である。 書架へ逃げ込んだは良かったが、あっという間に窓際に追い詰められて、今やエミリーの逃げ場はない。 「え、え、えっと、ルー・・・・ルパン?」 「何かな、エミリー。」 ダメだ、『ルパン』で返事をされてしまった、とエミリーは焦る。 いくら声を抑えたとはいえ、本来なら学園内でそう呼べば「何をいっているんですか?」と返されるところなのに、この返事。 「そんなに怯えなくてもいいじゃないか。ねえ?」 「っ!」 甘いといっても差し支えない声の響きなのに、何故か・・・・とっても怖い。 蛇に睨まれたカエルの気分はこんな感じなんじゃないか、と頭の片隅で考えていたエミリーの頬を、ルパンの掌が捕らえた。 「ダメだよ、エミリー。ちゃんと僕を見て?」 「だって、あの・・・・こ、こんなところを誰かに見られたら困るんじゃないの!?」 エミリーとルパンは恋人同士ではあるが、ルーピンとはごく普通のクラスメイトという位置づけなのだ。 と、言う意味を込めて抵抗してみたエミリーだったが、何故かさらにルパンの機嫌は目に見えて降下してしまった。 「・・・・僕はルパンだろうとルーピンだろうと、君の恋人でいたいけど?」 「え、ええ!?」 「まあ、いいさ。君が気にするというなら隠してあげる。・・・・万が一にでも、君の可愛い顔は他の奴に見せたくないしね。」 「???」 ルパンの呟きのどこへ反応したらいいのかわからず目を白黒させるエミリーの前で、ルパンは器用に片手で束ねてあったカーテンを外すと、さっと引いてしまった。 「あ、」 「ほら、これで他へは見えない。」 窓と自分たちを挟むように引かれたカーテンで、小さな空間ができあがる。 確かにこれなら図書館にいる生徒が書架の方へ来ても姿は見えないけれど・・・・。 「ル・・・・っ」 「もう、黙って。」 言葉を重ねようとした刹那、少し苛立ったような言葉と共に、エミリーの唇がふさがれた。 「っ!」 はっとして息を飲んだのもつかの間、性急にルパンの舌がエミリーの無防備な唇を割る。 「んっ・・・・・・・・・は・・・・」 キスをする構えもなく、息をするタイミングも見失ったエミリーは、ただただルパンのキスに翻弄されるしかない。 「・・・・ぁ・・・・・ちょ、ル・・・!」 わずか唇が離れたところで声を出そうとしても、それを許さないというように再び深いキスが降ってくる。 強引で巧みで、なによりも熱い口付けに頭の中の思考が真っ白に塗りつぶされていく。 (も・・だめ・・・・・) 酸欠やら何やらで、とうとうエミリーの膝からかくっと力が抜けた。 「おっと。」 さすがにそのタイミングでキスから解放したルパンが、崩れかかったエミリーの体を抱き留める。 「大丈夫かい?」 「・・・・・・・・・・・・・・大丈夫、な、はず・・・ないで、しょ。」 息も絶え絶えとはこのことだと自分で実感してしまうほど途切れ途切れにそう言ってエミリーはルパンを睨み付けた。 が、睨み付けたと言っても、やや涙目で上目遣いの視線にたいした力が入るわけもなく。 「あまり、可愛い顔をしないでくれないか。」 困ったような顔でそう言われ、今度はちゅっとリップノイズ付きのキスを落とされて、エミリーは肩をふるわせてしまった。 「な、何するのよ、突然・・・・!」 力の萎えてしまった足に、それでも何とか力を入れたエミリーはすがるようにルパンの制服を掴んだままだった手に力を入れてそう言った。 そう、問いたいのはまさにそれだ。 けれど、それを聞いたルパンの表情が笑顔から不機嫌そうなそれにとってかわった。 「・・・・君が悪い。」 「ええ!?私が何かした?」 いきなり責めるように言われて、エミリーは眉を寄せた。 その視線の先でルパンはかなり面白くなさそうにぽつっと言った。 「・・・・・・・なんで、あいつと手紙のやりとりなんかしてるんだ。」 「え・・・・?」 (手紙って・・・・あ、ジャックとの?) そう言えば、ルパンの機嫌が目に見えて降下したのは、確かにジャックからの返事を受け取った直後だった。 (そう言えばジャックとお手紙の交換をしてるって、他の人には言ってなかったわ。) ということは、さっきのやりとりでルパンは初めてエミリーとジャックが手紙交換をしていることを知ったというわけで・・・・。 「ルパン、もしかして貴方・・・・」 半ば確信を得た答えを確かめるように、エミリーは金色の瞳をのぞき込んで言った。 「やきもち妬いてるの?」 「っ!」 図星。 エミリーにもわかるほどあからさまに出た表情に、むしろエミリーは目を丸くした。 (ルパンがこんなに顔に出すなんて。) つかみ所のない、読めない、代名詞のようなルパンがわかりやすく動揺してくれた。 その事実がエミリーの鼓動を跳ね上げる。 自然と頬がゆるんでしまうのを止められないエミリーをバツが悪そうにちらっと見やって、ルパンが開き直ったようにその頬へ手を伸ばした。 「こら。何、嬉しそうな顔してるんだい。」 「だって、ふふ。ルパンもやきもちなんて妬くのね。」 「・・・・僕もこれほどとは予想外だったよ。」 はあ、と溜息をつくルパンに余計に笑みがこぼれてしまう。 「ふふふっ。」 「エミリー。」 警告めいた声で名前を呼ばれても全然怖くない。 と、思っていたら。 「んっ!」 またキスで口をふさがれた。 今度はそれほど長くなく離れたルパンを追うようにエミリーが見上げると、そこには、大怪盗ルパンでも気弱な探偵の卵のルーピンでもない ―― 年相応な顔をした彼がいて。 「大好きよ、ルパン。」 跳ねる鼓動に後押しされるようにちょっとだけ背伸びをして頬へキスを贈れば、ルパンがちょっとだけ困ったように笑った。 「本当に・・・・君にはかなわないよ。」 お手上げと言わんばかりの響きの言葉に満足そうにエミリーが笑うとルパンはその体をぎゅうっと抱きしめた。 ふわりと香るムスクの香りにエミリーが見上げると、額に優しいキスが一つ落ちてきて。 「僕の一番大事な宝物さん。・・・・奪われないように頑張るよ。」 そう耳をくすぐった言葉に、エミリーは笑って降ってくるキスを受け止めるように目を閉じた。 〜 END 〜 |